航海日誌


by pacific_project
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過剰本質ってなんだ

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 太平洋プロジェクトではいま、コラボレーション企画が動いている。それはオリジナルの書をファブリック(布)に書いてパネルにしてみよう、というものだ。時間をかけてやっているのだが、これがなかなかおもしろいことになっている。打ち合わせするたびに発見があり、広がったり深まったりする。(写真はラフ)

 メンバーは手描きの洋服デザイナーで書を書いているSと、幼なじみで建築士のA。Aが趣味でファブリックパネルを作っている。同世代で横浜出身で通った高校まで同じ、と共通点は多いものの、それぞれ社会に出てから短くはない年月が経っているから、使っている言語はかなり違っている。
 そこで、自分はそれぞれの狙っている方向を接続するような役割ということになる。それは具体的には、特に何もしないでその場にいて、「ただおもしろがっている」ということだ。
 
 そういうときに、~はこういうのをやったらどうか、と自分から生まれるアイデアはなぜか大抵つまらない。たぶん、自分がプレイする立場にいないからではないか。それよりプレイする人それぞれの見地から具体的に思いついたものを実現させたほうがはるかに力強い。そういうことがわかってから、こんなときには自分はおもしろがって話を聞いていればいいのだと思うようになった。もちろん自分がプレイするときには逆になるのだが。

 それでこないだメールでやりとりしていておもしろかったのは、Aの「過剰本質」という言葉だった。日によって自分の書が変わっていく、とSが書いたそのレスで、建築用語でもないのだろうが、「過剰品質」になるより「過剰本質」をめざすほうがいいんだ、太平洋ではそういうふうに作りたい、とAは書いていた。
 
 まず、過剰でやろう、というのがおもしろい。普段Sは組織のなかにいて、限られた時間と予算内で最大限の力を出すようにして、商品であるTシャツに手描きで絵を描いている(はずだ)。そこでは安定した品質は求められるだろうが、なにか過剰なものが必要とされることはたぶんない。というか多くの場合、過剰は切り捨てられるものだろう。それと同じことを、自前の企画でやる必要などない、ということだ。
 
 次に品質と本質についてだが、表現においては本来的には、本質をどれだけ正確に伝えるかをめざす態度が品質志向である、と言えそうだ。本質をメッセージと言い換えてもいい。しかし、既存の品質の方法論や美的感覚にからめとられてブレーキがかり、本質にたどり着けなかったりすることはよくある。そうなると、どれだけ質は高くても響かないものができあがるし、作り手にも不全感が残る。
 そこに陥るべきではない、とAは言っているのだと思う。表現においては、本質を求めて自分の手綱が断ち切れるようなところまで行く。自分で抑えない、やりすぎている、と思うぐらいまで行ってしまっていい。そうすることで結果的に新しいもの、美しいものが生まれる、かもしれない。その力を愚直に信じるということ。

 そういうことだ。楽しみになってきた。
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by pacific_project | 2006-05-28 00:50 | 日誌